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かけがえのない思考の連続

本坊由華子

 APAF Young Farmers Campでの日々は、気づきと発見の連続だった。無意識に抱えていた問題を丁寧に言語化し、他者と共有することで強固にしていく時間であった。容易く解決には至らないが、私がこの期間に培ったかけがえのない思考をここに記す。

 

・オンライン化の可能性

 今年のYFCは全てオンラインで行われた。毎年参加したいと思っていたこの企画だが、現地東京になかなか行けないことが障害となり応募を見送っていた。しかし、今年はオンラインでの活動であり、地方を拠点に活動する私としてはまたとない機会であった。

 コロナ禍によってあらゆる活動がオンライン化した。私はオンライン化の恩恵を受けている、と思う。オフラインで届けられる限られた人だけで回っていたサイクルの中に、オンラインによって参加することができた。オンライン化によって生じた不具合に目を向けがちだが、新しく得たものもあるはずだ。オフラインの活動で何かを取りこぼしていなかったか?オフラインに戻ってしまったら何かが零れ落ちてしまうのではないか?徐々にコロナ前に戻ろうとしている今、「戻ってもいいのか?」と一度立ち止まる必要がある。私がオンラインをどのように活用していくのか明確に解答できないが、オフラインに戻る前に、戻っていいのか、慎重でありたい。

 

・画面と想像

 YFCでの活動を行うにつれて、私は画面の向こうを想像することに興味が湧いた。三次元的に対面したことのないメンバーと画面越しで対話を続けるうちに、相手のことを能動的に想像するようになった。背丈や幅などの空間的な想像だけではない。一体何を考え、どんな問題意識を持っているのだろうと相手の思考を汲み取ろうとした。積極的な想像力を働かせ続け、お互いに歩み寄る経過はただただ楽しく、人と出会うという形式が様々にある中で、最も稀有な出会い方をしたのではないかと単純に感動していた。そして、私は人が出会う、というコミュニケーションにおいて思考を巡らせた。画面越しに他者と出会うことは、空間的に出会うのとは別の脳を使っているような感覚がある。知っている人として認識するのではなく、知らない人として扱うのだ。空間的に出会うことのない人=知らない人、という前提条件が他者への想像力に繋がるのではないかと考えている。

 人間は全てを分かり合うことはできない。分かり合えているという前提があると、行き違いが生まれる。人と人がコミュニケーションを取るうえで、空間的・身体的な共有がなされることで互いを理解した気になってしまうのではないだろうか。私はYFCでの画面上の活動そのものに、互いに深く知ることはできない、という前提が課せられていたように思う。そして、その前提条件を覆そうと想像力で抗っていたのではないか。もしも物理的に出会っていたら、空間を共有してしまっていたら、積極的にお互いのことを知ろうとしていなかっただろう。人間が深く相互理解するためには、お互いを知らない、分かり合えない、という意識をいかに持続させるかが大切なのかもしれない。


 

・Lab、Exhibition、レクチャーから

 国際的なアートの現場を目にし、学ぶことは多々あった。Labのプレゼンでは各国の状況が異なり、閉塞的で切迫した環境下に置かれたエネルギーのようなものを感じる瞬間があった。そして、当たり前のことだが、彼らと話すうちに言語や身体に多様な文脈の文化が流れていることが伝わってきた。私の言葉や身体にも全て日本の文脈が流れているということに気づかされてしまった。当たり前のことだ。国際的な現場で海外のことを知りたいという欲求があったが、自分が何者であるかをまず知りたい。私の書く戯曲の言葉には、身体には、どのような文脈が宿っているのだろうか。自身の根源的な文化資本、つまりルーツを明らかにし、細分化したい。私は何者か?と問われたら、「日本のアーティストだ」としか答えられないだろう。更に己を知る必要がある。あとは英語力を鍛えたいと切実に思った。

 

・生活と芸術

 YFCの活動の一環として交換日記を行った。私は精神科医だ。日頃の仕事の話を赤裸々に語り、精神科医の日常を淡々と綴った。自分の日常や仕事内容を文章化し他者と共有することで社会構造が透けて見える感覚があり、改めて自分がなぜ芸術をやるのかという原動力を探ることができた。その一部をここにも記す。

 私が精神科医として診察する患者の多くは、経済的な余裕がなく劇場に足を運ぶことが困難な方ばかりだ。そして、社会から閉め出されてしまう方も多くいる。彼らのことを社会的に消してはいけない、なんとかして社会と繋ぎ留めたい。その願いが私の表現の原動力なのだと思う。劇場に足を運ぶことができない彼らも観客である。彼らも含めて人類である。全人類に向かって芸術をやろう。

 

・私はどこを拠点にしているのか

 ディスカッションを通して、私はどこを拠点にしているのか、という問題に直面した。私は愛媛で暮らしている。愛媛で稽古を行い、県外の様々な場所で作品を発表している。しかし、私の劇団ではある一つの問題に直面している。それは、愛媛公演を行っても愛媛の観客が少ないということだ。劇団内でも愛媛公演を実施することについて度々議論になり、愛媛で作品を上演することに消極的になりつつある。愛媛という地が何を意味しているのか、私自身分からなくなっているのが現状だ。

 東京のアーティストが消費されることに抵抗を感じ地方に拠点を移すこともテーマに挙がった。確かに、私は愛媛で活動することによって消費されるような徒労感は少ないだろう。では、東京のアーティストが渇望しているものを地方の私は得ているのか。ディスカッションの一部に出てきた「解像度の高い地縁コミュニティ」という言葉があった。互いの顔を知り、その土地に住む人々とコミュニティを築く、ということだ。そういった活動を私は実施しているのか、と言われたらそうではない。私が愛媛でどのような活動をしているのか話し、「それは東京のやり方ですね」と言われたことに衝撃を受けた。私は愛媛という地方に住み地方のやり方で芸術を営んでいると思っていたが、そうではなかったようだ。一体私はどこを拠点に活動しているのだろう。

 私はこの土地で創作を続けることに違和感を感じていたが、きっと自分で選んで愛媛に居ることは間違いない。それが何なのか、分かっているようで分かっていない部分もあるだろう。だからこそ、この地で自分がどういったやり方で今後活動していくのか、長期的な展望を持って芸術を営むのだ。

​​APAF2020 Young Farmers Camp 最終レポート >

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